プロフィール

:

Author::
ミウラ ケイコ
(こうだ建築設計事務所)
ワタナベ ナミ
(渡辺建築設計事務所)
共に一級建築士・福祉住環境コーデイネーター二級。
埼玉で住宅をメインに居心地の良い空間造りを目指しています。

気軽にお問い合わせを

名前:
メール:
件名:
本文:

カテゴリー

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

リンク

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

住環境相談室 We(ウイ)
‘暮らしの環境 住まいから’をテーマに様々な方向から住まいを考えます
散策
神宮外苑散策

連休の一日、神宮外苑にある国立競技場や絵画館周辺を歩いてきました。

7月には国立競技場が解体されると聞き、
2020年のオリンピック・パラリンピックにむけてこの辺り一帯は大きく変わるだろうと思い、
今のうちにもう一度この風景を楽しみたいと思ったからです。
  絵画館絵画館

正式名称は聖徳記念絵画館といいます。
明治天皇・昭憲皇太后の御聖徳を永く後世に伝えるために造営されました。
大正8年に着工、大正15年竣工です。
関東大震災の時には、工事を一時中断して
敷地内に建築足場でバラックを建てて被災者6,400人を収容したそうです。

 銀杏並木銀杏並木
この銀杏並木はいつ見てもすばらしいですね。
みどりの濃くなった今も、秋の黄葉も。

もしかしたらこれらの景色が一変してしまうかもしれないのです。

絵画館前庭絵画館前庭
ここに競技場のサブトラックが造られるかもしれない…


国立競技場国立競技場
        国立競技場


この競技場が建て替えられることになっているのは皆さんご存知でしょう。

        国立競技場

「SAYONARA国立競技場」という見学会が催されていました。
メインスタンドはもちろん、選手更衣室や聖火台も間近で見ることができます。
長蛇の列で、私はちょっと行く時間が遅くて残念ながら間に合いませんでした。

新しい競技場はコンペで選ばれたのですが、巨大で、高額な工事費、
周囲の環境を壊す…等様々な理由で反対運動が起きています。
しかも、絵画館の前庭にサブトラックを造るという計画もあるそうです。
オリンピック終了時に解体されるのかどうかまだ明らかにされていません。
当初、3月末にできる予定だった基本設計が、4月末になっても出来ていません。
現在の競技場を改修することで充分使えるのではないかと言う意見もあります。

それなのに7月には解体工事を始めるのだそうです。

この景色が、この環境が無くなってしまうかもしれないなんて。(kei)



建物の保存
建物の保存

2月16,17日に、関東甲信越を中心に100人ほどの参加者を迎えて
「保存問題埼玉大会」がありました。
大会の主旨は「日本文化の中のモダニズム建築をどう捉えるか」ということでした。
 
大会のシンポジウムで内田祥哉先生(東京大学名誉教授)は、
「日本における歴史的建造物の保存と活用ーその様々な形態」というテーマで、
とても分かりやすく面白い話をして下さいましたので、少しご紹介したいと思います。

日本人が建物を保存している態度には三つの違った考え方があると思っています。
その三つを代表するのは法隆寺と大坂城、そして伊勢神宮です。

 法隆寺は現物の保存。
昔あるものを昔のままに保存しているという非常に分かりやすい保存のしかたです。

 大坂城は、構造は鉄筋コンクリート造だけれど、当時の形を保存している。
そこに大坂城があった時のことが分かるように景観を保存しているといえます。

 伊勢神宮は千年の歴史がありますが20年ごとに建替えています。
これは保存とは違うと言われることもありますが、20年ごとに造ることによって
その技術を保存しています。


内田先生は、この三つの考え方をもとに、保存とは何かということが難しい問題であるという
お話をされましたが、その中で玉虫厨子のお話がとても興味深かったので、それをご紹介します。

 数年前に法隆寺の玉虫厨子がずいぶん痛んでいるので新しい玉虫厨子を
奉納しようという企画がありました。岐阜県高山の職人さんがお金を出し、
まず玉虫を集めるところからはじめ、昔のことを調べながら復元していきました。

しかし、どうもそれよりももっときれいに輝かせる玉虫の並べ方がある。
自分がやったらもっと細かく切って光るところだけを使えばもっときれいなのができるじゃないか
という話になりました。

それでとうとう職人さん達は、
じゃあ、現代の我々の技術で最高の玉虫厨子を作ったらどうなるか、是非作ってみたい、
ということになって、さらにお金を出してもう一つ作りました。
新しく作った二つの玉虫厨子は我々には区別がつきません。

しかし、職人さん達にしてみると、本物らしく作ったものはニセモノであって、
職人さん達が自分の手で作ったものこそ、平成の本物なわけです。
それが修理というものの難しさを大変見事に訴えていると思いました。

今、ニセモノの玉虫厨子は法隆寺の昔の本物と一緒にあって、
平成の本物は岐阜にありますが、北海道でサミットがあった時に展示され、
各国の首脳にお披露目したそうです。


保存と再現と復元は違います。
昔のものをそのままに復元しようとしても、材料も技術も道具も違います。
材質も作り方も道具も復元されて本物らしくなるけれど、それでもまだ本物ではありません。
結局ニセモノなんだ、というところが復元する時の一番悔しいところです、
というのが内田先生の結論でした。

*青字部分は内田先生のお話を抜粋し、編集したものです。(kei)


見学会
建物の保存

大宮から高崎線で約一時間。本庄は中山道の中で最大の宿場町と言われていました。
その本庄で‘清酒力士’を販売して99年。「小森商店」さんが5月いっぱいで閉店することになり、昔のままの姿で使われ、残っている煉瓦蔵や土蔵などの見学会が開かれました。

   煉瓦蔵 RIMG0001_20090813013800.jpg
 イギリス積 RIMG0037イギリス積
煉瓦の積み方にはフランス積み、イギリス積み、アメリカ積み、オランダ積みなどいろいろありますが、煉瓦の側面と小口との組み合わせ方で名前が違います。この蔵はイギリス積で、壁厚は約30センチあります。

   小屋組 RIMG0008小屋
蔵は2階建てで、木造の小屋に瓦屋根が乗っています。
蒸し暑い日でしたが、中に入ると少しだけひんやりしました。

春に行った佐原も江戸とは利根川で結ばれていることで繁盛した街ですが、ここ本庄も利根川を使って江戸までの物資の流通が盛んに行われていました。荒川と利根川の豊富な水から生まれる伏流水を使って作られた上質なお酒は、一大消費地江戸に運ばれていたのです。本庄に限らず、埼玉は水がよいので酒造りは盛んだったそうです。それがビールやワインに押され、焼酎やウィスキーなど嗜好は拡大して日本酒の需要は極端に低くなってしまったようです。そのため、残念ながら小森商店さんは閉店することになってしまいました。

その跡地利用も課題の一つです。
本庄の商店は、中山道に面して間口が狭く奥行きが非常に長いのが特徴です。その特徴が今でも数多く残っています。「小森商店」もそういう敷地です。土蔵や煉瓦蔵を残してこの敷地をどう使うか、本庄の街をどう魅力的にしていくか、これから皆で考えていきます。

    グラスRIMG0045グラス

帰りがけにこんなかわいいグラスを頂きました。グラスには相撲の手が2種類ずつ描かれています。一箱24個を全部そろえると48手が揃うことになります。

この地が昔のにぎわいに少しでも近づけるような利用方法が考えられることを願っています。(kei)

まちづくり
本庄まちづくり

このところ熊谷、深谷、本庄と街並みを見る機会を得ました。
そのなかでも本庄は「本庄まちNET」の人に誘われ、58年前の本庄でロケが行われた映画を見に行ってきました。
現在の本庄はご多分に漏れず、駅前の商店街はシャッター街となっていました。クリスマスの頃なのにほとんど人がいません。車だけが走り抜けて行く商店街でした。
旧中山道を歩いて行くとぽつんぽつんと古い建物が残っています。

RIMG0012.jpg
  これは明治27年に建てられた本庄商業銀行の建物です。今は洋菓子店の店舗になっており、内部は天井や梁が当時のままで残されています。

歴史民族資料館1
  明治16年に本庄警察署として建てられた本格的な洋風建築物です。昭和10年まで警察署として使われ、その後は公民館や図書館等、そして現在は歴史民俗資料館となっています。建設当時から様々な行事ごとに前庭が使われ、その写真が残っていて驚きました。補修や改装をして今に至った様子がよく分かります。
 
この資料館がそのまま警察署として映画の中にも出てきます。
58年前、この町でロケが行われた映画は「ペン偽らず」というものです。舞台は不正や暴力が横行するある地方の町。人々は仕返しを恐れて黙認する状況が長く続いていたが、そんな状況を打破して町に平和を取り戻そうと若い新聞記者が立ち上がり、次第に活気と平和を取り戻していくというストーリーでした。若き日の志村喬、池部良、宇野重吉など、錚々たるメンバーが出演していました。

この映画が作られた頃、本庄市には映画館がありませんでした。そして今もありません。せっかく本庄の町が映っているのに本庄で上映できないなんて…。というわけで「本庄まちネット」の人達が奔走して廃業して倉庫となっていたパチンコ屋を借り、機材やパイプ椅子を持ち込んで1日だけの上映会をやりました。3回の上映は毎回満員で立ち見が出るほどでした。中にはこの映画にエキストラで出たという人もいて、皆さん昔の本庄の街並みを懐かしがっていました。

門2
門2JPG
こんな門もいくつか残っています。

今、あちこちの町の駅前がさびれ、それを何とかしようという試みがありますがなかなか一朝一夕にはうまくいきません。本庄市も何とかして昔の活気を取り戻そうと「本庄まちNET」の人達は活発に活動しています。(kei)

古民家
小春日和の中、仕事のついでに富士見市の難波田城公園まで足を延ばしました。
東武東上線鶴瀬駅から市内循環バスで15分ほど。ここは難波田氏の城館跡で県の旧跡です。
この中にいくつかの古民家が移築、復元されています。
旧大澤家

これは旧大澤家住宅です。富士見市東大久保村にあった民家で江戸時代に大久保村の名主をつとめていた大澤家の母屋として明治4年に建築されました。

大澤家玄関
‘式台’と呼ばれる立派な玄関は、江戸時代には幕府の役人を迎えるための専用の出入り口で、普段は閉じられ、当主といえども使うことは許されなかったそうです。明治になってから新築されたこの玄関はどのように使われたのでしょうか?幕府もなくなって皆平等ということになったわけですから、今度は自分たちが堂々と使おうと造られたのか、それともまだまだ時代の変化を読み切れず、江戸時代と同じ形を選んだのか、建てた人に聞いてみたいですね。
大澤家付書院
違い棚や付書院を備えた奥座敷です。付書院の透かしや障子の桟がきれいです。
富士見市教育委員会の‘古民家復元工事報告書’には「役宅としての機能を満たす、名主階級に特有のもの」と記述されています。

旧鈴木家長屋門です。
鈴木家長屋門表

鈴木家長屋門

江戸時代に名主をつとめていた鈴木家の表門で、ずいぶん大きくて立派な長屋門です。
長屋門は江戸時代には家の格式を示すものとして武士、名主、寺院などに建築が許されていました。
鈴木家長屋門裏

母屋側から見た長屋門です。詳しい建築年代は不明ですが明治中期以降に建てられたと推定されています。門の右側には畳の部屋もあり、庭側に下屋(庇)がついて屋外の作業がやりやすくなっています。これだけ大きく立派な長屋門は少ないだろうと思われます。

小さな難波田城公園ですがこの他にも民家が移築、復元されていて公園も管理が行き届いていました。保存には難しい問題がたくさんありますが、移築、復元も一つの方法です。周辺の環境とは切り離されてしまい、雰囲気も少し違ったものになっているかもしれませんが、当時の建築技術や生活様式を知る手がかりはあります。
仕事の忙しさを忘れてしばしほっとする一時を過ごすことができました。(kei)